過去の職歴整理 ④
「過去の職歴」って、
頭痛が痛いみたいな表現だな。
職歴なんだから、過去ってわざわざ要らなかった。
今更ですが。
4つ目(最後):少人数職場!アットホーム、和気藹藹。業務自体は楽しかったが、職場の雰囲気に馴染めず業務に支障。
6月末に退職した、直近の職場。
在職11ケ月。
身体的負担が少なく、給料がよかったので選んだ。
業務自体は、楽しかったし、顧客からの評価もそこそこもらえていた。
でも、「アットホーム」な職場は自分には不向きだった。
分かってはいたけど、思った以上に不向きだった。
他の条件の良さに目が眩んで、
「なんとかなる!」と思っていたが、
何ともならなかった。
この辺の詳細は、過去の記事に記載したので省略。
もともと採用時は、新規オープン予定の店舗のオープニングスタッフとして
採用されたんだけど、
コロナの長期化で新規店舗がオープンできず、
完全に自分が余剰人員になっていたのも
肩身が狭かった。
職場の雰囲気に馴染めないのは、正直どこにいってもあるんだけど
それが露骨に業務に支障となって現れたのがダメだった。
会議資料、一人だけ回されないとか、なんだそれ。
独身アラフォーで、人生の大半を「仕事」に費やしているからこそ
この会社で定年まで働く、という人生が
どうしても描けなかった。
あと、社風がバリバリ「人間力を育てる」「自己啓発」系だったのが嫌だった。
業務に直接関係のない行動を強要されるのが、自分は本当に嫌いだった。
この辺は、完全に単なる好き嫌いの問題だから
自分が事前に調べなかったのが悪いんだけどね…。
会社としても、文句あるなら来るなってところだろうし。
一応OpenWork等の口コミサイトは粗方確認したんだけど、
口コミ自体が無い会社も多いんだよね…
でも、一番自分が嫌でどうしても許容できなかったのが、
反対意見を述べたときに、全く取り合ってもらえない、
検討自体をしてもらえないことだった。
検討した上で却下されるのとは全然違う。
会議などの、正式な場でそれを何度も経験したのが、退職の決め手だったと思う。
新参者のペーペーだから意見なんて通らないのが当たり前?
でも、「検討した結果、却下される」のと、「検討すらしてもらえない、発言が議事録にも載らない」のは全然別だと思う。
どんどん積極的に意見を述べて欲しい、っていうのが建前なのは分かっているけど、
意見を述べたのにそれが無視されるのであれば、
全てが、上の都合のいいように行う茶番にしか思えない。
大なり小なり、どこに行っても必ずある問題だけど
あまりにも露骨すぎて無理だった。
なんだか文句ばっかりな記事だなー
でも、書き出すことでちょっと整理ができたような気がする。
失業保険の初回講習参加
失業保険初回講習(1時間)に参加してきた
6月末に退職し、本来なら14日以内(7/14)に届く離職票が前職場から未だ届かない。
でも、これは一年前に離職した時(3つ目の職場を辞めてから一ヶ月間無職だった)も同じだったので、今回は慣れていた。
一年前はすごく不安で何度も前職場に電話してしまったけど、離職票は職場から一旦
ハローワークを経由しないと発行できないそうで、
今はコロナの関係でハローワークでの処理が全国的に遅れている様子。
離職票発行の手続きをしてくれていること自体は確認済みなので、今回は気長に待ちます。
ちなみに、離職票の発行は職場の義務ではないから、退職する前に必ず「離職票を発行してほしい」と希望しておく必要がある。
親切なところは、職場から案内してくれるけども、全くアナウンスのない職場もあるので注意。
離職票の発行はどうしても時間がかかるから(今回のように...)、会社ですぐに発行できる「退職証明書」を退職日までにもらっておくと、役所やハローワークでの手続きがスムーズ。
離職票がなくても、退職から14日が経過すればハローワークで失業保険の仮手続きができる。
私は7/14に仮手続きをして、本日7/28が初回講習日だった。
久しぶりに電車に乗った。一ヶ月前までは毎朝7時過ぎに乗っていたのになあ...
講習会自体は、コロナの影響で短時間(一時間)で終了。
コロナのため質疑応答は中止で、疑問があれば各自ハローワークに問い合わせるように指示があった。
講習内容は、9割は事前にハローワークでもらっていた手引きに書いてあることだったので、隣の人はずっと寝ていた。
一つだけ、有意義だったのが、「求職活動」の範囲。
失業保険を受給するためには、基本的に「求職活動」を月に2回行って、
失業保険認定日にハローワークに報告する義務がある。
一年前は、コロナの影響で「求職活動」の範囲が大幅に緩和されて
所定の場所(ハローワーク・関連機関等)にてPCで求人閲覧するだけで、
「求職活動」1回とカウントされていた様子。
今日の説明では、以下の通り。
この内容は、各地のハローワークごとに異なっていることもあるため、
あくまで私の居住区での話ですが。緊急事態宣言が出たら変わりそうだし。
●今はPC閲覧だけでは「求職活動」には該当しない。
⇒PCを所定の場所閲覧し、「求職活動レポート(書式がハローワーク等にある様子)」を提出し、窓口で相談して初めて「求職活動」と認定される。
●その他は今まで通り(企業への応募や、ハローワーク関連の講習会、セミナーへの参加、資格受験等、職業訓練校への通学等)
とりあえず、簡単に受けられそうなセミナーを1件申し込み予定。
それと、職業訓練校の説明を個別に受けてきた。
どうしようかな...
私は、30代半ばで取得した国家資格があるんだけど、
2つの職場(3つ目と4つ目)を経験して、
これから先この資格でやっていく自信がなくなった。
取得するのに、3年と総額500万円以上かかったんだけどな...
一体何をやっているのか、今後どうしていくのか、
全く先は見えない。
過去の職歴整理 ③
今日は一日本当に何もしなかった。
抗重力位になっている時間すら、ほとんど無くて
ずっと横になっていた。
昨日はやたらブログ更新(4回)したり、買い物行って自炊したりできたんだけどな。
だからかな。
今日は朝フルグラ、夜カップラーメンと納豆。以上。
昨日のレバー煮を温めなおすのすら億劫。
これは痩せないわ。
以下、過去の職歴整理③
3つ目の職場:資格を取って転職。またもや体力勝負!!チームプレイだが業務分担が明確。
30代前半で専門学校へ行き、資格取得。そして再就職。
めちゃくちゃ体力勝負の職場。
この資格は、数年おきに転職を繰り返して、色々な場所で経験を積むのが一般的。
なので、年齢的に体力の必要な職場は、最初に経験しておきたかった。
でも思った以上に体力的に大変だった。
前の職場も大変だったけど、思えば自宅玄関まではなんとかたどり着けていた。
3つ目の職場は、業務が終わったら一回休憩室で30分くらい横にならないと
帰宅する体力が湧いてこなかった。
当然休みの日はほぼ死んでいた。
割と観光名所の近くに住んでいて、入社前は休日に色々出かけたいと思っていたけど
結果的に4年間休日ほぼどこにも行けなかった。
強制ではないけど、業務後の勉強会や休日の研修会もあって、本当にヘトヘトだった。
疲れすぎて仕事にならない日も実はあったんだけど、予定していた有給以外で
休んだことはなかった。
今思えば、仕事にならないなら思い切って休めばよかった日もあった。
業務内容自体は非常に明確でよかった。
チームワークではあるけども、各自の役割分担がはっきりしていたので
コミュニケーションが苦手でも何とかなった。
「枠」があると話しやすい。
加えて、職場の雰囲気として雑談しなくて済んだのが大きかった。
規模が大きな職場だったので、雑談したい人はその人達で適当に固まり、
そうでない人は適当にバラけている感じだった。
基本的に業務が忙しかったので、別に雑談しなくても仕事をきちんとやっていれば
責められるようなこともなかった。
業務自体に不満はなかったけど、とにかく体力的に持たず、4年で退職。
薬膳を意識した料理 鶏レバーの甘辛煮
申し込みを検討していた職業訓練の締め切りが過ぎていた!!
あああ
一体何をやってるのか…
資料も事前に手元に用意していたのに...
日々気力が湧かず、不安定な状態が長引いているのは
「血」が足りないから?と思って
今日は買い物に行き、鶏レバーを購入。
甘辛煮にしてみた。
ビールが合うだろうな、と思って80円の発泡酒も購入。
写真、美味しくなさそう...
千切りもかなり雑だな...
でも実際食べたら、美味しかった。安いし。
発泡酒は2/3ほどで全身がまだら模様になって猛烈に痒くなった。
もともと弱かったアルコールが、確実にもっと弱くなっている...
量は飲めなくても、お酒自体は何でも好きだったんだけど、
こんなに弱くなっては何が飲めるかな...
以下、覚書き。
●鶏レバー
補血作用により、「血」を蓄える「肝」の働きを高め、
貧血や視力低下の改善に働きます。
また、「腎」機能改善から、精力や活力の向上にも関わります。
五味:甘 苦
五性:温
帰経:肝 腎 脾
過去の職歴整理 ②
2つ目の職場 体力勝負!やることがある程度決まっている 精神的安定
2つ目の職場は、現場業務。
とにかく体力勝負。早番・夜勤あり。 しかし、基本的に定時で帰ることができる。
最初は、帰宅したら玄関で倒れていた。
慣れてからも、基本的に休日は倒れていた。
でも、業務の8割は定型的なもので、とにかくやることをやる!それのみ。
やるべきことを遂行できているか、評価基準もわかりやすい。
基本的に周りに人はいるけども個人プレーでできたのが、やりやすかった。
残り2割は、自分の裁量で色々できたのも、やりがいがあってよかった。
このころは精神的にも、ある程度安定していたと思う。
それでも、だいぶ波はあったけど…
月に一回、習い事にも通うようになった。
でも、職場の飲み会や、バレーボールクラブなんかはどうしても苦手で
参加していなかった。
色々あったけど、総括するとよい時期だったと思う。
ただ、いつまでもいられない部署で、いずれは異動しなくてはいけなかった。
他の部署は基本的にどこも激務で責任が重いことが前提。
業務の評価基準に曖昧さがあるのも、どこも同じ。
以前のような部署に戻るのがどうしても無理だと思い、思い切って退職し、
30代前半で資格をとるための専門学校へ通うことにした。
過去の職歴整理 ①
退職してほぼ一ヶ月近く経過。
求職活動どころか、日常生活的なこともほぼ何もせず
日々が過ぎゆく。
なんだか気力が湧かない。
漠然としたカンだけど、このまま闇雲に再就職しても
きっと同じことを繰り返して、上手くいかない気がする。
前に進むためにも、過去の職歴整理をしていこうと思う。
1,最初の職場 職務内容はやりがいがあったが、激務。曖昧さがダメ
新卒で採用されたのは大手。
分野自体は自分の希望するものだったが、
職務内容や職場の雰囲気は、イメージしていたものと大きく違った。
言い訳だけど、自分の所属していた大学は就職に非常に弱く、
大学自体が就職に力を入れていないため情報が入ってこない、OGOBとのつながりも
ほぼない。
当時自分自身もネットに疎く個人でも情報収集があまりできていなかった。
加えて、自分自身、周りに人がいても上手く情報収集することができていなかった。
イメージ:マニュアル的・定型的な仕事,定時退社,デスクワーク中心,静かな環境
実際:常に臨機応変が求められる,成果が明確に求められない分、正解のない・区切りのつけにくい業務,成果が求められない分失敗が許されない業務,出張頻回,繁忙期は終電近い,残業当たり前,休日も地域の活動に自主参加が求められる,来客の多い部署だったので常にざわざわとしている(怒鳴り声も頻繁に聞こえる、もしくは自分が怒鳴られる),電話も常に鳴り響いている
3年で円形脱毛症×3カ所と、逆流性食道炎になり、異動希望を出す。
やりがいは確かにあったし、苦手なことに正面から取り組んで頑張ったので成長できた部分もあるけど、2度と戻りたくない3年間だった。
特に激務だったのと、仕事が曖昧(何をどこまで行うかが非常に流動的すぎる)なのが本当にダメだった。
専門職らしく、自分の裁量が大きく、クリエイティブ?と言えば聞こえはいいのかもしれないけど、
自分は苦手だった。
どこまでやったらいいのかわからず、常に闇雲に限界まで頑張っていないといけないような、強迫観念に襲われていた。
希望異動先が、「病んだ職員の療養部署」といわれるところで倍率?も高かったが、
なんとか希望が通った。
耳管開放症経過と体重増
この2日間、本当に何もしていなかった…
23日の夜に、約一ヶ月ぶりくらいにTVをつけて、
東京オリンピックの開会式をみた。
夜更かししたのは、覚えていないくらい久しぶり。
そしたら、次の日案の定朝起きられず、
ずっとゴロゴロしていたら2日経っていた...
もう社会生活に戻れる気がしない。
そして開会式はあんまり面白くなかった...
でも、選手入場はとても良かったと思う。
ここ数日一つだけ良いことがあり、昨日から耳管開放症の症状がほとんど出ていない。
加味帰脾湯を飲み始めてから8日目。
これは大分嬉しい。
と思っていたら、体重が4Kg増えていた。
耳管開放症の原因の一つに、急な体重減少が挙げられるみたい。
確かに退職前の1ケ月位で4Kgくらい体重減少していた。
ひそかに喜んでいたら、
それで耳管開放症を発症して、
結局体重が戻ったら、症状も落ち着いた(薬の効果もあるだろうけども)。
ままならない!
やっぱり、痩せるときは食事と運動で健康的に痩せないとだめなのね…